ギンザストーリー(銀座歴史)

銀座の街並みの画像です

1603〜
徳川秀忠が実施した2回⽬の「天下普請」の際、静岡・駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁⽬に移しました。当時その場所の正式な町名は新両替町でした。
1868〜
明治政府が銀座を煉⽡街にする計画を⽴て、歩道部分は煉⽡を敷き。ガス灯がともされ、街路樹として桜、松、楓が植えられました。現在の銀座の街区の基礎となりました。
1912〜
銀ぶらという⾔葉が使われはじめ、大正後半頃には関東⼤震災で銀座はほぼ全焼となる。その際に作ったバラック建築は今もなお語り継がれている。
1926〜
アジア初の地下鉄として昭和9年頃に銀座まで開通。銀座通りでは(モボ、モガ)スタイルが流行。
一方で第⼆次世界⼤戦の影響で銀座の商店は打撃を受け街から、ネオンや広告塔が消滅。昭和45年頃からは、歩⾏者天国が始まった。
1989〜
平銀座ルール(建築⾼さ56m)が制定され、ファストファッションブランドが進出。銀座通りにWi-Fi設備を完備
2019〜
新型コロナウイルスが全世界で流行。銀座の街の灯火を消してはいけないと、銀座もの繋ぎプロジェクトが発足される。現在は「銀座ものひと繋ぎプロジェクト」として街を盛り上げている
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