結論から言えば、箱根駅伝は過去に銀座がスタート/ゴール地点だった時代がある。
戦後から高度経済成長期にかけて、銀座・有楽町エリアに本社を置いていた読売新聞社前が選手たちの出発点として機能していた。場所は、現在のUNIQLO TOKYOがあるマロニエ通り付近。昭和の銀座の街並みを背景に、各大学の襷が一斉に駆け出した様子は多くの観客を魅了したという。銀座の商店主や通行人が沿道から声援を送る風景は、今では語り草となっている。これにより、箱根駅伝の歴史の一部に「銀座」という地名が刻まれているのは紛れもない事実と言える。
なぜ銀座から大手町へ移ったのか

現在のスタート地点が大手町に定着した背景には、読売新聞社の本社移転がある。
読売新聞が銀座から大手町へ拠点を移したことで、駅伝の発着地も自然と大手町へ移行した。こうして「箱根駅伝=大手町スタート」が現代のスタンダードとなった。しかし、移転後も“銀座の記憶”は長く語り継がれ、古い写真資料には銀座のビル群と選手たちが並走する貴重なシーンが残されている。銀座の絵葉書コレクションを持つ歴史愛好家からも「銀座時代の駅伝風景は当時の街の空気を感じさせる貴重な資料」と評価する声は多い。
銀座でスタートしていた時代の特徴
当時の銀座スタートには、現代とは異なる特徴がある。
① 観客と街が近かった
道幅は現在より狭く、沿道の観客との距離が近い。銀座の商店街からは「選手が目前を走り抜ける迫力があった」との証言も残る。
② 街の象徴としての「銀座」
戦後復興を象徴する街として銀座は特別な位置を占めていた。全国から人が集まる銀座をスタートにすることは、駅伝の華やかさを高める効果が大きかった。
③ メディア発信の中心地だった
銀座には新聞社・出版社が多く立地していたため、メディア露出との相性が良かった。現在の駅伝人気の礎を築くうえで、銀座スタートは拡散力のある発信拠点だったと言える。
銀座と箱根駅伝の関係は「歴史の宝」になる
箱根駅伝が銀座を発着地としていた事実は、単なる過去の話ではない。
今も銀座には当時の写真、歴史資料が残されており、地域文化や観光の視点から再評価が進んでいる。特に、銀座の街歩きや歴史研究の分野では、「駅伝が銀座から始まった」というストーリーは大きな魅力を持つ。
銀座のブランド性と箱根駅伝の全国的人気、この二つが交差する歴史的瞬間は、今後も語り継がれていくだろう。
第102回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)
地上波・日本テレビ系
往路 2026年1月2日(金)あさ7時~
復路 2026年1月3日(土)あさ7時~

執筆:ginzaboy
Photo:ギンザプロデュース24
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