モボとモガのモダニズム

夜の銀座、ガス灯が揺れる街角で、ジャズの音色が漏れ聞こえる。カフェのガラス窓越しに、ボブカットの女性が煙草をくゆらせ、スーツ姿の青年がハットを傾ける。1920年代の日本、モダンボーイ(モボ)とモダンガール(モガ)は、都市の鼓動とともに新しい時代を生きていた。彼らのスタイルは、ただの流行ではなかった。それは、伝統を脱ぎ捨て、自由を着こなすための革命だったに違いない。
モダンとは、銀座の光と影

大正末期から昭和初期、第一次世界大戦後の日本は西洋の風に吹かれていた。銀座や浅草のカフェやダンスホールは、モボとモガの社交場。モガは、膝上丈のワンピースにハイヒール、口紅を塗り、フラッパーのように自由を謳歌した。モボは、テーラードスーツにフェルト帽、ポケットにハンカチを忍ばせ、ハリウッドスターの気取りで闊歩した。彼らが愛したのは、ジャズのスウィング、洋画のロマンス、そしてカフェで交わす軽やかな会話。谷崎潤一郎の『痴人の愛』に描かれたナオミのようなモガは、伝統的な「良妻賢母」を嘲笑うかのように、恋愛と自立を追い求めたのだった。
当時のメディアは、モボとモガを「西洋かぶれ」「退廃」と切り捨てた。だが、彼らは単なる模倣者ではなかった。和服から洋装へ、茶の間からダンスホールへ。それは、個人主義とグローバルな感性を日本の土壌に根付かせる試みだった。銀座のカフェー・プランタンは、そんな彼らの実験場。そこでは、タイピストや女優を目指すモガが、会社員や学生のモボと肩を並べ、未来を語ったのだろうか。
モボ・モガのスタイルを、今着るなら

モボとモガの魅力は、時代を超えて色褪せない。彼らのスタイルを現代に蘇らせるなら、どんなルックになるだろう。モガなら、Aラインのミニドレスにヴィンテージのベレー帽、足元はポインテッドトゥのブーツ。メイクは鮮やかなレッドリップで、夜の街を歩くたびに視線を集める。モボなら、スリムフィットのダークスーツにシルクのタイ、ポケットスクエアで遊び心をプラス。クラシックなフェルト帽を手に持ち、バーでウイスキーを傾ける姿は、銀座のモボそのものだ。
現代のファッションは、ジェンダーレスやサステナビリティを背景に、モボ・モガの自由な精神と共鳴する。東京のストリートで、古着のリメイクやミックスカルチャーのコーディネートが流行するのは、彼らが100年前に始めた「自分らしさ」の延長線上にあるのかもしれない。
なぜ今、モボ・モガなのか

モボとモガの物語は、単なるノスタルジーではない。それは、変化を恐れず、自分を再定義する勇気の物語だ。2020年代の私たちは、デジタル化やグローバル化の波の中で、アイデンティティを探し続けている。モガがボブカットに込めた自己表現、モボがスーツに宿した都市への憧れは、現代の若者がSNSやストリートで追い求める「個性」と重なる。彼らの時代は、軍国主義の影に飲み込まれ、モダンな光は一時途絶えた。だが、その精神は戦後のミヤケ族や現代のサブカルチャーに息づく。渋谷の交差点や原宿の裏路地で、モボ・モガの残響を聞くことができる。
銀座を歩こう
もしモボとモガの足跡を辿りたいなら、銀座へ。カフェ・パウリスタのコーヒーを飲みながら、ジャズのプレイリストを耳に、1920年代の空気を想像してみてほしい。そこには、100年前の若者たちが、今のあなたにウィンクしているかもしれない。


モボ・モガは、1920年代の日本で西洋文化の影響を受けた新しい若者文化を象徴する存在でした。彼らのファッション、ライフスタイル、価値観は、当時の社会に大きなインパクトを与え、近代化と伝統のせめぎ合いのなかで独自の輝きを放ちました。現代の視点で見ると、モボ・モガは日本のグローバル化や女性のエンパワーメントの初期の例として、興味深い存在であるのだ。
執筆:編集部
Photo:ギンザプロデュース24
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