東京に誕生した初めての街路樹は「銀座の柳」だった

蘇る銀座の風情

銀座の柳は中央区が依頼している専門の造園業者の手により、伸びすぎた枝が丁寧に切り揃えられていた。近くの会社員は「ビルの谷間で揺れる柳が、なんだか軽やかになった気がします」と語る。

剪定は、樹形を整え、風通しを良くすることで病害虫を防ぎ、柳の生命力を維持するために欠かせない作業だ。特にシダレヤナギは成長が早く、定期的な手入れが必要とされる。造園の専門家は「剪定することで、木への負担を最小限に抑えつつ、美しい姿を保てる」と説明する。今回の作業では、柳の枝が地面に届くほど伸びていた部分がカットされ剪定後の柳は、まるで新たな時代に向けて準備を整えたかのように、軽やかに風に揺れていた。

銀座の柳

銀座の柳の歴史は、明治時代に遡る。1874年(明治7年)、銀座通りに日本初の街路樹として松、楓、桜が植えられたが、埋立地特有の湿った土壌で育たず、多くが枯れてしまった。そこで、湿気に強く生命力旺盛なシダレヤナギが選ばれ、1884年(明治17年)には銀座の街路樹のほぼ全てが柳に統一された。 これが「銀座の柳」の始まりだ。しかし、歴史は平坦ではなかった。1921年(大正10年)の道路改修計画で柳は一旦全て撤去され、関東大震災(1923年)や戦後の開発でその姿を消した。地元住民の強い反対もあったが、柳の不在は銀座の風景に郷愁を残し、流行歌「東京行進曲」に「昔恋しい 銀座の柳」と歌われたほどだった。

復活の転機は1984年(昭和59年)。朝日新聞の記事で、目黒区に銀座の柳の子孫が3本残っていることが報じられ、地元有志の勝又康雄氏らが挿し木で「銀座の柳二世」を復活させた。150本の挿し木から86本が根付き、銀座の街に再び柳並木が蘇ったのだ。 さらに1987年(昭和62年)、長野県安曇野市から100本の柳が寄贈され、御門通りに植樹。

中央区の木にも制定され、銀座のシンボルとしての地位を確固たるものにした。

編集部所有の銀座絵葉書
MEMO

剪定を終えた銀座の柳は、夏の陽光の下で一層鮮やかに輝いている。地元商店街の関係者は「柳は銀座の歴史と一緒に生きてきた。これからも街の変化を見守ってほしい」と期待を寄せる。銀座を訪れるなら風に揺れる柳の姿をぜひ感じてみてほしい。そのしなやかな枝葉には、150年にわたる銀座の物語が宿っている。

新橋演舞場前の柳

執筆:ginzaboy
Photo:ギンザプロデュース24

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