(2/6) 【潜入】メディア初公開『Ginza Sony Park』内覧ツアー
初期段階では公園をつくる計画はなかった
「ソニーらしく大胆でユニークに、銀座の街に新しいリズムを、そして、人々が気分によってさまざまな過ごし方ができるように、という3つのテーマを掲げ、創業者の想いを丹念に紐解いていきました。」そう語るのは Ginza Sony Park 主宰 永野大輔 氏である。未来に向けてソニーの個性を形にするにはどうすればよいかを考え続け、導き出した答えがGinza Sony Park 。
今回のプロジェクトで、公園を構成する重要な要素は「余白」であると考えた永野氏。
余白の空間はさまざまなものを受け入れ、そして受け流していく。余白があることで空間は変わり続けることができる。だから Ginza Sony Park には多くの余白があります。今はまだ何もない余白だけの空間だが、グランドオープン後、この余白は、ソニーだけではなく、訪れた人の使い方やアクティビティによって彩られ、この場の楽しみ方も変わり続けるという。まるで、プレーステーション(プラットフォーム)を連想することもできる。
Ginza Sony Park Project
Ginza Sony Park Projectとは、「街に開かれた施設」をコンセプトに1966年に建てられ、50年以上にわたって銀座の街と歩んだソニービルの建て替えプロジェクトである。
1966年、ソニーのファウンダーのひとりである盛田昭夫氏によってつくられたソニービル。そこには、「街に開かれた施設」の象徴であり、盛田氏が「銀座の庭」と呼んだ10坪のパブリックスペースがあった。ソニーは次の50年に向けても創業者の想いを継承させたいと考え、「銀座の庭」を「銀座の公園」として拡張することで、銀座の街に新しいリズムをつくり、来街者の方が入りやすく、さまざまな楽しみ方ができる場にしようとプロジェクトを進める。
また、その建て替えプロセスもソニーらしくユニークに行いたいという想いから、これまでにない新しい発想で二段階のプロセスを採用。第一段階は新しい建物をすぐに建てず、ビルの解体途中(2018年8月~2021年9月)を公園にするという他に類を見ない実験的な試みを行った。結果として、コロナ禍を含む約3年間で854万人もの人が来園した。
その後、第二段階として解体・新築工事を再開し、2024年8月にプロジェクトの最終形となる「Ginza Sony Park」を竣工、2025年1月にいよいよグランドオープンの予定だ。
ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫氏によってつくられたソニービル。「街に開かれた施設」の象徴であり数寄屋橋交差点に面した角地に設けた10坪のパブリックスペースを、盛田氏は「銀座の庭」と呼んだ。ソニーは次の50年に向けて創業者の思いを継承させたいと考え、「銀座の庭」を「銀座の公園」として再定義しプロジェクトを進めることとなる。
その建て替えプロセスもソニーらしくユニークに行いたい、という発想から二段階のプロセスを採用。第一段階は新しい建物をすぐに建てず、ビルの解体途中(2018年8月~2021年9月)を公園にするという他に類を見ない実験的な試みをおこないました。結果として、コロナ禍を含む約3年間で854万人が来園。
その後、第二段階として解体・新築工事を再開し、2024年8月にプロジェクトの最終形となる「Ginza Sony Park」を竣工、2025年1月にいよいよグランドオープンを迎える予定。この新しい「Ginza Sony Park」は銀座の街に余白とアクティビティをもたらし、街や人に新たなリズムを生み出していくという。